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そばお まさひろ
そばお まさひろ
昭和40年3月19日生まれ。
平成16年いまり法律事務所開設。趣味は,合唱,茶道,水泳,ラグビー観戦。
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2009年08月22日

習熟度別クラスは差別を生むか?

 私は,弁護士業のかたわら,以前,中学生向けの学習塾で,5年間社会科を教えていた。
 教えるときに迷うのは,どの生徒に合わせて授業を進めるかである。社会科が得意な生徒と苦手な生徒がいる。苦手な生徒に合わせて授業を進めると,得意な生徒は手持ちぶさたになる。逆に,得意な生徒に合わせると,苦手な生徒はついていけない。

 教育は,一人一人の能力に合わせてなされるべきである。しかし,「一人の生徒に一人の教師」というわけにはいかない。
 とすると,せめて,その科目が得意な生徒と,苦手な生徒とに分けて授業をした方が,生徒にとってわかりやすくなる。

 このような主張をすると,「教育における差別を生む。」という批判が起きる。
 しかし,なぜ,多くの人は,英語と数学の学力のみを重視するのだろうか。生徒には個性がある。英語が得意な生徒もいれば,体育や音楽が得意な生徒もいる。体育が得意な生徒には,その力に合わせた体育教育を行ってはいけないのだろうか。美術が得意な生徒には,高度な美術技法を教えてはいけないのだろうか。それは,教育における差別だろうか。

 得意な生徒にも,苦手な生徒にも,同じことを教えるのは,一見,平等精神に基づくものにみえる。しかし,それは「悪平等」である。生徒にとっては,不親切な教え方である。
 英語と数学だけを重視して,それらの科目が得意な生徒を「優秀な生徒」と呼ぶから,差別意識が生まれてしまう。「英語は苦手だが,音楽は得意。」という生徒も,「優秀な生徒」である。すべての生徒は「優秀な生徒」である。そのような意識を持って,個性に応じた教育を行うなら,差別意識が生まれることはない。

 英語が得意な生徒は,苦手な生徒に英語の勉強の仕方をアドバイスする。逆に,英語は苦手だが体育は得な生徒は,体育が苦手な生徒に走り方,跳び方を教える。習熟度により完全分離するのではない。このように得意な生徒と苦手な生徒とが協力し合える関係をつくればよい。

 悪平等を捨て,生徒一人一人にとってわかりやすい教え方をするのが,真に生徒のためである。

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Posted by そばお まさひろ at 02:37 │教育