2009年08月29日
年金担保貸付に反対する。
年金を担保にしてお金を貸すことは禁止されている。年金は,お年寄りにとって大事な収入源である。したがって,年金を担保にとってはいけない。
しかし,「独立行政法人福祉医療機構」だけは,年金を担保にした貸付を認められている。
福祉医療機構自体は,全国各地に貸付の窓口は持っていない。各地の銀行が窓口になり,福祉医療機構の資金を貸し付けている。
福祉医療機構から年金を担保に借金すると,年金から返済額を天引きされる。最近は年金全額を天引きされている人も見かける。自己破産しても,年金からの天引きは続く。借金した人が亡くなった場合に備え,生命保険もかけられている。
通常,金融機関は,融資した相手が破産すれば,お金を返してもらえず,損をする。不動産を担保にとっていても,不動産はすぐに売れるものではない。売れても,貸した額全額を回収できることは少ない。
しかし,福祉医療機構だけは,融資した相手が破産しても,全額返してもらえる。貸した額を,年金から天引きし続けるからである。相手が亡くなっても,生命保険から返してもらえる。貸倒れがない。
年金を担保に借金したために,年金がゼロになってしまい,生活できなくなった人をしばしば見かける。破産申立しても,年金は天引きされる。やむを得ず,生活保護の申請をすることになる。
年金担保貸付の低い利率につられて,お金に困ったお年寄りから,「年金を担保にして借金をしようと考えている。」という相談を受けることがある。私は「お勧めしない。」と答えるようにしている。
年金担保貸付は一切禁止すべきであると考える。
しかし,「独立行政法人福祉医療機構」だけは,年金を担保にした貸付を認められている。
福祉医療機構自体は,全国各地に貸付の窓口は持っていない。各地の銀行が窓口になり,福祉医療機構の資金を貸し付けている。
福祉医療機構から年金を担保に借金すると,年金から返済額を天引きされる。最近は年金全額を天引きされている人も見かける。自己破産しても,年金からの天引きは続く。借金した人が亡くなった場合に備え,生命保険もかけられている。
通常,金融機関は,融資した相手が破産すれば,お金を返してもらえず,損をする。不動産を担保にとっていても,不動産はすぐに売れるものではない。売れても,貸した額全額を回収できることは少ない。
しかし,福祉医療機構だけは,融資した相手が破産しても,全額返してもらえる。貸した額を,年金から天引きし続けるからである。相手が亡くなっても,生命保険から返してもらえる。貸倒れがない。
年金を担保に借金したために,年金がゼロになってしまい,生活できなくなった人をしばしば見かける。破産申立しても,年金は天引きされる。やむを得ず,生活保護の申請をすることになる。
年金担保貸付の低い利率につられて,お金に困ったお年寄りから,「年金を担保にして借金をしようと考えている。」という相談を受けることがある。私は「お勧めしない。」と答えるようにしている。
年金担保貸付は一切禁止すべきであると考える。
2009年08月28日
佐賀大学対慶應義塾大学 準硬式野球
私は,佐賀大学経済学部で,客員准教授として,刑事訴訟法を教えている。
昨年の刑事訴訟法の講義の教え子が,佐賀大学の準硬式野球部でがんばっている。
「準硬式」は,ボールの中身は硬式と同じである。表面が軟式と同じようにできている。
昨日から,「全日本大学準硬式野球選手権大会」が,佐賀県内で開催されている。佐賀大学は,九州大会を勝ち抜き,この全国大会に出場した。佐賀大学は,全国大会の常連校である。
昨日の1回戦は,鹿島市民球場で大阪経済大学に7対3で勝った。今日は2回戦だった。嬉野みゆき球場で,慶應義塾大学と対戦した。佐賀大学は,残念ながら0対7で敗れた。点差は開いたが,試合は互角に戦えた。超ファインプレーもあった。選手たちは,地方の国立大学も,がんばれば,東京六大学の大学と互角に戦えると,自信がついたと思う。私の教え子の4年生の学生も,最終回に代打として出場した。見事,レフト線にヒットを放った。最後の夏を悔いなく過ごせたと思う。
私は,2年ほど前から,佐賀大学で教えている。
大学で教えていて感じるのは,学生たちの「二流意識」である。自分たちは一流にはなれないと最初からあきらめ,手を抜いてしまう。
一流と二流との差は,能力の差ではない。意識の差である。目標を達成するためがんばろうという意識があれば,誰でも日本の「トップクラス」にはなれる。「トップ」になるには,努力だけでは足りない。才能も必要である。しかし,「トップクラス」になるには,才能までは必要ない。がんばれば,誰でもトップクラスになれる。がんばろうという意識があるかどうかだけが問題である。
トップクラスに入るだけが人生ではない。しかし,最初からあきらめて手抜きをしてしまう人生は,面白くない。
今日の対慶應義塾大学戦を観戦し,がんばればトップの選手たちと互角に戦えるということを学生たちが証明してくれたと感じ,うれしかった。
昨年の刑事訴訟法の講義の教え子が,佐賀大学の準硬式野球部でがんばっている。
「準硬式」は,ボールの中身は硬式と同じである。表面が軟式と同じようにできている。
昨日から,「全日本大学準硬式野球選手権大会」が,佐賀県内で開催されている。佐賀大学は,九州大会を勝ち抜き,この全国大会に出場した。佐賀大学は,全国大会の常連校である。
昨日の1回戦は,鹿島市民球場で大阪経済大学に7対3で勝った。今日は2回戦だった。嬉野みゆき球場で,慶應義塾大学と対戦した。佐賀大学は,残念ながら0対7で敗れた。点差は開いたが,試合は互角に戦えた。超ファインプレーもあった。選手たちは,地方の国立大学も,がんばれば,東京六大学の大学と互角に戦えると,自信がついたと思う。私の教え子の4年生の学生も,最終回に代打として出場した。見事,レフト線にヒットを放った。最後の夏を悔いなく過ごせたと思う。
私は,2年ほど前から,佐賀大学で教えている。
大学で教えていて感じるのは,学生たちの「二流意識」である。自分たちは一流にはなれないと最初からあきらめ,手を抜いてしまう。
一流と二流との差は,能力の差ではない。意識の差である。目標を達成するためがんばろうという意識があれば,誰でも日本の「トップクラス」にはなれる。「トップ」になるには,努力だけでは足りない。才能も必要である。しかし,「トップクラス」になるには,才能までは必要ない。がんばれば,誰でもトップクラスになれる。がんばろうという意識があるかどうかだけが問題である。
トップクラスに入るだけが人生ではない。しかし,最初からあきらめて手抜きをしてしまう人生は,面白くない。
今日の対慶應義塾大学戦を観戦し,がんばればトップの選手たちと互角に戦えるということを学生たちが証明してくれたと感じ,うれしかった。
2009年08月23日
「社会福祉士」を知っていますか?
高齢者の多い伊万里で弁護士をしていると,福祉関係の方々とかかわることが多い。特に「社会福祉士」の方々には,しばしばお世話になる。
社会福祉士は,福祉に関する総合的エキスパートである。
例えば,介護を必要とする高齢者がいるとする。特養,老健,グループホーム・・・。さまざまな施設の中で,そのお年寄りにはどの施設が適切なのか。
高齢者に対する家族による虐待をみつけたとする。高齢者を守るだけでは足りない。なぜ,虐待してしまうのか,その原因を追究する。家族による虐待の場合,家族が介護により精神的,体力的に疲れていることが多い。虐待してしまう家族のこころをいやす。虐待の原因を取り除く。
このような仕事をしてくれるのが,社会福祉士である。
私の法律事務所にも,社会福祉士が一人所属している。成年後見人の業務などをしてもらっている。多くの社会福祉士は,市役所の地域包括支援センターや社会福祉協議会,高齢者の施設などで働いている。
私は,恥ずかしいことに,弁護士になるまで,「社会福祉士」という資格があることを知らなかった。社会福祉士は,重要な仕事をしているにもかかわらず,認知度が低い。職場での待遇も,あまりよくないようである。残念なことである。
高齢化が進むにつれて,高齢者をめぐる問題が多くなる。社会福祉士は,さらに重要な役割を果たすことになる。
社会福祉士の仕事の重要性を,より多くの方々に知っていただきたい。
社会福祉士は,福祉に関する総合的エキスパートである。
例えば,介護を必要とする高齢者がいるとする。特養,老健,グループホーム・・・。さまざまな施設の中で,そのお年寄りにはどの施設が適切なのか。
高齢者に対する家族による虐待をみつけたとする。高齢者を守るだけでは足りない。なぜ,虐待してしまうのか,その原因を追究する。家族による虐待の場合,家族が介護により精神的,体力的に疲れていることが多い。虐待してしまう家族のこころをいやす。虐待の原因を取り除く。
このような仕事をしてくれるのが,社会福祉士である。
私の法律事務所にも,社会福祉士が一人所属している。成年後見人の業務などをしてもらっている。多くの社会福祉士は,市役所の地域包括支援センターや社会福祉協議会,高齢者の施設などで働いている。
私は,恥ずかしいことに,弁護士になるまで,「社会福祉士」という資格があることを知らなかった。社会福祉士は,重要な仕事をしているにもかかわらず,認知度が低い。職場での待遇も,あまりよくないようである。残念なことである。
高齢化が進むにつれて,高齢者をめぐる問題が多くなる。社会福祉士は,さらに重要な役割を果たすことになる。
社会福祉士の仕事の重要性を,より多くの方々に知っていただきたい。
タグ :社会福祉士
2009年08月23日
コンビニに駐車場!
私は,愛知県で育ち,学生のころ以降は東京に住んでいた。始めて伊万里に来たのは,平成8年,31歳のころだった。
伊万里に来て最初に驚いたのは,コンビニに駐車場があることだった。
佐賀では,コンビニに駐車場があるのは,当たり前のことである。しかし,東京や名古屋のコンビニには,駐車場はない。電車で移動し,駅からは徒歩。コンビニにも徒歩で行く。
伊万里の人は,どこに行くにも「車」。ほんの数百メートル先に行くにも,「車」である。公共交通機関が少ない伊万里では,車なしでは移動が難しい。車に慣れ,移動するには車に乗るのが当たり前になったのだろう。
観光地においても,「駐車場の確保」が最優先課題になっているようだ。先日,武雄の宇宙科学館に行った。広大な駐車場だった。車はまばらだった。
九州各地からのお客さんは,車でいらっしゃる人が多い。しかし,関東から車で伊万里までいらっしゃる方は少ない。関東の人は,飛行機で福岡空港へ。博多から電車で有田経由で伊万里に来る。伊万里駅まで来たが,そこから先の交通機関がない。車に乗らない観光客の移動手段についても,考えるべきだと思う。
「関東から伊万里に観光に来る人なんているのか。」と思われるかもしれない。しかし,伊万里の観光地に置いてある芳名帳を見ると,関東の住所を書いている人は意外にも多い。首都圏の人口は3000万人。0.1%の人が伊万里に来られたとしても,3万人。関東を無視することはできない。
車に乗らない観光客の伊万里駅からの移動手段について,検討する必要がある。
また,高齢化が進むにつれて,車を運転できない高齢者が増える。そのような高齢者の移動のためにも,公共交通機関が必要である。
伊万里に来て最初に驚いたのは,コンビニに駐車場があることだった。
佐賀では,コンビニに駐車場があるのは,当たり前のことである。しかし,東京や名古屋のコンビニには,駐車場はない。電車で移動し,駅からは徒歩。コンビニにも徒歩で行く。
伊万里の人は,どこに行くにも「車」。ほんの数百メートル先に行くにも,「車」である。公共交通機関が少ない伊万里では,車なしでは移動が難しい。車に慣れ,移動するには車に乗るのが当たり前になったのだろう。
観光地においても,「駐車場の確保」が最優先課題になっているようだ。先日,武雄の宇宙科学館に行った。広大な駐車場だった。車はまばらだった。
九州各地からのお客さんは,車でいらっしゃる人が多い。しかし,関東から車で伊万里までいらっしゃる方は少ない。関東の人は,飛行機で福岡空港へ。博多から電車で有田経由で伊万里に来る。伊万里駅まで来たが,そこから先の交通機関がない。車に乗らない観光客の移動手段についても,考えるべきだと思う。
「関東から伊万里に観光に来る人なんているのか。」と思われるかもしれない。しかし,伊万里の観光地に置いてある芳名帳を見ると,関東の住所を書いている人は意外にも多い。首都圏の人口は3000万人。0.1%の人が伊万里に来られたとしても,3万人。関東を無視することはできない。
車に乗らない観光客の伊万里駅からの移動手段について,検討する必要がある。
また,高齢化が進むにつれて,車を運転できない高齢者が増える。そのような高齢者の移動のためにも,公共交通機関が必要である。
2009年08月22日
習熟度別クラスは差別を生むか?
私は,弁護士業のかたわら,以前,中学生向けの学習塾で,5年間社会科を教えていた。
教えるときに迷うのは,どの生徒に合わせて授業を進めるかである。社会科が得意な生徒と苦手な生徒がいる。苦手な生徒に合わせて授業を進めると,得意な生徒は手持ちぶさたになる。逆に,得意な生徒に合わせると,苦手な生徒はついていけない。
教育は,一人一人の能力に合わせてなされるべきである。しかし,「一人の生徒に一人の教師」というわけにはいかない。
とすると,せめて,その科目が得意な生徒と,苦手な生徒とに分けて授業をした方が,生徒にとってわかりやすくなる。
このような主張をすると,「教育における差別を生む。」という批判が起きる。
しかし,なぜ,多くの人は,英語と数学の学力のみを重視するのだろうか。生徒には個性がある。英語が得意な生徒もいれば,体育や音楽が得意な生徒もいる。体育が得意な生徒には,その力に合わせた体育教育を行ってはいけないのだろうか。美術が得意な生徒には,高度な美術技法を教えてはいけないのだろうか。それは,教育における差別だろうか。
得意な生徒にも,苦手な生徒にも,同じことを教えるのは,一見,平等精神に基づくものにみえる。しかし,それは「悪平等」である。生徒にとっては,不親切な教え方である。
英語と数学だけを重視して,それらの科目が得意な生徒を「優秀な生徒」と呼ぶから,差別意識が生まれてしまう。「英語は苦手だが,音楽は得意。」という生徒も,「優秀な生徒」である。すべての生徒は「優秀な生徒」である。そのような意識を持って,個性に応じた教育を行うなら,差別意識が生まれることはない。
英語が得意な生徒は,苦手な生徒に英語の勉強の仕方をアドバイスする。逆に,英語は苦手だが体育は得な生徒は,体育が苦手な生徒に走り方,跳び方を教える。習熟度により完全分離するのではない。このように得意な生徒と苦手な生徒とが協力し合える関係をつくればよい。
悪平等を捨て,生徒一人一人にとってわかりやすい教え方をするのが,真に生徒のためである。
教えるときに迷うのは,どの生徒に合わせて授業を進めるかである。社会科が得意な生徒と苦手な生徒がいる。苦手な生徒に合わせて授業を進めると,得意な生徒は手持ちぶさたになる。逆に,得意な生徒に合わせると,苦手な生徒はついていけない。
教育は,一人一人の能力に合わせてなされるべきである。しかし,「一人の生徒に一人の教師」というわけにはいかない。
とすると,せめて,その科目が得意な生徒と,苦手な生徒とに分けて授業をした方が,生徒にとってわかりやすくなる。
このような主張をすると,「教育における差別を生む。」という批判が起きる。
しかし,なぜ,多くの人は,英語と数学の学力のみを重視するのだろうか。生徒には個性がある。英語が得意な生徒もいれば,体育や音楽が得意な生徒もいる。体育が得意な生徒には,その力に合わせた体育教育を行ってはいけないのだろうか。美術が得意な生徒には,高度な美術技法を教えてはいけないのだろうか。それは,教育における差別だろうか。
得意な生徒にも,苦手な生徒にも,同じことを教えるのは,一見,平等精神に基づくものにみえる。しかし,それは「悪平等」である。生徒にとっては,不親切な教え方である。
英語と数学だけを重視して,それらの科目が得意な生徒を「優秀な生徒」と呼ぶから,差別意識が生まれてしまう。「英語は苦手だが,音楽は得意。」という生徒も,「優秀な生徒」である。すべての生徒は「優秀な生徒」である。そのような意識を持って,個性に応じた教育を行うなら,差別意識が生まれることはない。
英語が得意な生徒は,苦手な生徒に英語の勉強の仕方をアドバイスする。逆に,英語は苦手だが体育は得な生徒は,体育が苦手な生徒に走り方,跳び方を教える。習熟度により完全分離するのではない。このように得意な生徒と苦手な生徒とが協力し合える関係をつくればよい。
悪平等を捨て,生徒一人一人にとってわかりやすい教え方をするのが,真に生徒のためである。
2009年08月20日
人手不足と人余り
1 過疎・高齢化が進む伊万里で弁護士の仕事をしていると,高齢者に関する法律相談が多い。高齢者が悪徳商法にだまされて,高い商品をクレジットで買わされる。一人暮らしのお年寄りが借金を抱えて困っている。このような相談である。
自治体の福祉関係の職員の方々や,福祉施設の方々とも親しくなる。
2 ひとことで「福祉」と言っても,高齢者福祉,障がい者福祉,児童福祉の3つの分野に分かれる。障がい者福祉は,さらに知的障がい,精神障がい,身体障がいに分かれる。
そして,どの分野の福祉にも共通して言えることは,福祉に携わる人材の「人手不足」である。
3 他方,私は,万引きや空き巣で捕まった人の国選弁護も,しばしば依頼される。これらの人々は,仕事がなく,収入がないため,犯罪にはしる。
一方で人手不足が生じているのに,他方で仕事がなく困っている人がいる。なぜ,このようなアンバランスが発生するのだろうか。
4 「仕事がない」という人々の多くは,以前は建設関係の仕事に就いていた。伊万里も,ごたぶんにもれず,公共工事は減少している。建設業の仕事をしていた人々の中には,失業して収入が乏しくなっている人も多い。
5 逆に福祉関係が人手不足なのは,ハードな仕事の割に給料が少ないからだと思われる。福祉施設は,夜勤が当然の職場である。介護の仕事は,体力的にも精神的にも疲労が激しい。ところが月給は20万円に満たない。人手不足のため,ますます,職員の負担は大きくなる。
6 福祉関係の仕事をしている人々の待遇を改善するには,福祉施設の経営状況を公表する必要がある。施設は何にお金を使っているのか。決算書を公表すれば,それがわかる。本来,職員の給料にあてるべきお金を,他のことに使っていないか。
施設がぎりぎりまで節約しているのに,職員の給料を少額にせざるをえないのならば,それは介護の報酬が少なすぎるからだとわかる。介護報酬を増額する必要性について議論しなくてはならない。
7 福祉の職場の給料を上げ,十分な人材をそろえ,勤務時間を短くすれば,介護の現場の人手不足を解消できる。これは,障がい者施設,児童福祉施設にも共通していえることである。
そして,建設関係で働いていた人々を,福祉の仕事にシフトする。人余りの職場から人手不足の職場へ,人材を移動させる。これにより,雇用は確保される。
先細りが目に見えている建設業にしがみついているだけでは,伊万里に未来はない。
自治体の福祉関係の職員の方々や,福祉施設の方々とも親しくなる。
2 ひとことで「福祉」と言っても,高齢者福祉,障がい者福祉,児童福祉の3つの分野に分かれる。障がい者福祉は,さらに知的障がい,精神障がい,身体障がいに分かれる。
そして,どの分野の福祉にも共通して言えることは,福祉に携わる人材の「人手不足」である。
3 他方,私は,万引きや空き巣で捕まった人の国選弁護も,しばしば依頼される。これらの人々は,仕事がなく,収入がないため,犯罪にはしる。
一方で人手不足が生じているのに,他方で仕事がなく困っている人がいる。なぜ,このようなアンバランスが発生するのだろうか。
4 「仕事がない」という人々の多くは,以前は建設関係の仕事に就いていた。伊万里も,ごたぶんにもれず,公共工事は減少している。建設業の仕事をしていた人々の中には,失業して収入が乏しくなっている人も多い。
5 逆に福祉関係が人手不足なのは,ハードな仕事の割に給料が少ないからだと思われる。福祉施設は,夜勤が当然の職場である。介護の仕事は,体力的にも精神的にも疲労が激しい。ところが月給は20万円に満たない。人手不足のため,ますます,職員の負担は大きくなる。
6 福祉関係の仕事をしている人々の待遇を改善するには,福祉施設の経営状況を公表する必要がある。施設は何にお金を使っているのか。決算書を公表すれば,それがわかる。本来,職員の給料にあてるべきお金を,他のことに使っていないか。
施設がぎりぎりまで節約しているのに,職員の給料を少額にせざるをえないのならば,それは介護の報酬が少なすぎるからだとわかる。介護報酬を増額する必要性について議論しなくてはならない。
7 福祉の職場の給料を上げ,十分な人材をそろえ,勤務時間を短くすれば,介護の現場の人手不足を解消できる。これは,障がい者施設,児童福祉施設にも共通していえることである。
そして,建設関係で働いていた人々を,福祉の仕事にシフトする。人余りの職場から人手不足の職場へ,人材を移動させる。これにより,雇用は確保される。
先細りが目に見えている建設業にしがみついているだけでは,伊万里に未来はない。
2009年08月20日
国家は助けてくれない
借金で首が回らなくなって相談にいらっしゃる方の中には,ほとんどお金を持っていないという方もいる。所持金は数百円。病気や高齢のため,仕事がないから,収入もない。そのような方もおられる。
弁護士は,借金をなくすことはできる。しかし,その人の収入を増やすことは,弁護士にはできない。
そのような場合,市役所に生活保護の申請をする。しかし,生活保護費が支給されるとしても,審査のために数週間かかる。
社会福祉協議会には,緊急にお金が必要な人のために,少額のお金を貸してくれる制度がある。しかし,これも手続に3,4日かかる。
「明日の食費もない。」という場合,どうにもならない。私が電力会社にいくら抗議しても,電気もとめられる。
「本当にお金がない,どうにもならないという場合でも,国家は助けてくれない。」と感じる。
「今日の食費がない。」という理由で万引した高齢者の国選弁護も,私は何度も経験した。
ホームレスの問題が報道されるとき,多くの人は,対岸の火事だと思っていないか。しかし,今日の食費にも困っている人を放置することにより,万引きや空き巣などの被害が起きるなら,市民にとっても無関係の問題ではない。
生活保護支給につなげるまでの,最低限の緊急支援の制度はできないものだろうか。
弁護士は,借金をなくすことはできる。しかし,その人の収入を増やすことは,弁護士にはできない。
そのような場合,市役所に生活保護の申請をする。しかし,生活保護費が支給されるとしても,審査のために数週間かかる。
社会福祉協議会には,緊急にお金が必要な人のために,少額のお金を貸してくれる制度がある。しかし,これも手続に3,4日かかる。
「明日の食費もない。」という場合,どうにもならない。私が電力会社にいくら抗議しても,電気もとめられる。
「本当にお金がない,どうにもならないという場合でも,国家は助けてくれない。」と感じる。
「今日の食費がない。」という理由で万引した高齢者の国選弁護も,私は何度も経験した。
ホームレスの問題が報道されるとき,多くの人は,対岸の火事だと思っていないか。しかし,今日の食費にも困っている人を放置することにより,万引きや空き巣などの被害が起きるなら,市民にとっても無関係の問題ではない。
生活保護支給につなげるまでの,最低限の緊急支援の制度はできないものだろうか。